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打梨小学校跡

山県郡旧戸河内町立打梨小学校
1971(昭和46)年3月 閉校

左端に見えるは教職員宿舎。




玄関まわり

手洗い場

便所

ノップ碍子露出配線。
この工法は絶滅なるも、近ごろまた
洒落た古民家再生や昭和レトロ調狙いな建物の演出で
一部の建築デザイナーに注目されつつある。

校舎内には
おそらく周辺の電源施設の維持管理に携わる業者のものであろう
夥しい建築資材が詰め込まれていた。


校舎中央部の垂壁に貼られたままの日本地図。

ワヰうヱヲ ン

窓から見える教職員住宅。

この二階建ての、

一階部はおそらく、

給食調理場であろう。
カマド跡が見られ壁や天井は煤けていた。

煤壁には(社)日本栄養学会のポスターが貼ってあった。

階段とリネン庫入口。



二階の部屋は栄養士の休憩室であったのだろうか?
1990年代の一時期、この廃校に住まわれていた
日本ツキノワグマ研究所 所長の米田一彦先生は、
夜間この二階から外に向けてサーチライトを照らし、
柿を食べに来るクマを観察していたそうだ。
夕方、友人とその家族が集まり、二階に上がった。
茶菓子や酒がもたらされて、お茶が湯気を立てた。
過疎のこの集落に、夜、子どもの声が響くことは
めったにない。
広島といえど、山間地の寒さは秋田市と変わらない。
電気ゴタツが押し入れから引き出され、一年ぶりに
スイッチが入った。
夜九時、そろそろ出るころだ、声を小さく絞った。
数日前からベランダにサーチライトを取りつけ、
山側をこうこうと照らし続けてある。
まず小さな目の光が登場した。テンである。
もう目の覚めるような橙色に毛の色が変わっていた。
テンもカキを食べにきたのだ。
右手の奥から、パラパラと小枝を折る音がする。
やがてクマは暗がりから遠慮がちに姿を現した。
素早くサーチライトを向けると、目が青緑色に光った。
まだ若いクマのようだ。
やがてそのクマは正面のカキの木に上がった。
われわれに全身をさらして登っていく。
野生の筋肉が躍動し、鋭い爪が木の表面をうがった。
カキを食べる時は、やはり枝をつかみ、枝の元を
口でひねって折っている。
バリバリと大枝が折れる音が谷に響いた。
クマはひねっては手繰り、手繰っては、実を口に寄せた。
「おもしろいね」
子どもたちの目が耀き、口を開けて見守っていた。
(一九九二年十一月二八日 広島県戸河内町打梨)
以上、「山でクマに会う方法」 米田一彦著:山と渓谷社刊 より抜粋。

押入れの中には
1980年代発行のBE-PALが数十冊あり。

夢は 今も めぐりて

忘れがたき ふるさと
